ヱキセントリック少年少女

はにかみ屋のシティガール

生かされた不思議 まだ続けよう

諸般の事故によりお仕事ができなくなり、多分このまま撤収するんだろうなぁ、という感じだ。夏と共に。夏と共に去りぬ。

 

おもえば、これまでの人生においてエラーを起すのはいつも夏のような気がする。

殊に、大学2年の夏は抜群にしんどかった。

鬱を発症して完全にお脳の調子が悪くなり、大学から撤退した途端、折悪くもアパートの外壁工事がスタートしてしまった。これにより、真夏の白昼からカーテンを閉め切り轟音に包まれた6畳間でひたすら突っ伏して寝ているしかないという地獄が出現。綾波か?

さらにはそんな娘の様子をうかがいに上京して来た父親までもが、その惨状を目にしてショックを受け自前の鬱を悪化させる・・・という、ミイラ取りがミイラに的な地獄の上塗り状態に発展。親子揃って危急存亡。

その時、なんとか隣町のカフェ・レストランまで*1娘を連れだすことに成功した父が撮影した写真は、今でも手元にあります。

孔雀みたいな青緑に染めていたのが色褪せてまだらになった髪をして、今よりも15キロほど痩せている私が蒼白な顔ですこしだけ微笑んでいる、という哀しみのゾンビみたいな写真ね・・・・・・

もう6年も前のことだけど、いま振り返ってみてもビックリするほど全然いい想い出になってねぇな。世界でいちばんツライ夏。「あの頃に比べたら今はナンボかマシ」という指標を得たこと以外よかったことがない。

 

夏の、暑さとか諸々のこう、「圧倒的にガーッとくる感じ」に脆弱な精神と肉体がたやすく負けるんだよな。

 これはたとえば、学生時代体育会系でスポーツに打ち込んでいたら違ってたのか? とかも考えるんだけど、そもそもが幼少のみぎりよりの情緒不安定さだったり偏頭痛持ちだったりなので、耐久性が試されるような過酷な季節やシチュエーションに全然耐えられずあっさりブッ倒れるという向いてなさ*2だから、もうホント根本的にダメなんだろうなァ。

骨から華奢な感じの細くてかわいらしい子がガンガンの日差しの下元気に働いてるのに、横で同じ作業してるその子の倍くらいのガタイの私が息も絶え絶えなのなんで?って思います。それで日陰に連れてかれて、「大丈夫~??」とか「辛かったんだねぇ」とか「tenomさんは繊細だから心配。私が代わりにやるから休んでていいよ!」とか言われるんだよ。なんなんだよ、私SDガンダムみてーなプロポーションのくせしてこのザマなに?? 華奢な人から「繊細」とか評されるのえらい恥ずかしいしどんな顔したらいいかわからない。積んでるバッテリーの性能が違うのかな・・・・・・

 

夏なんてさ、洗濯物がよく乾くことくらいしか取り柄がないよな。

やたら刺されるからゴキブリよりも蚊が嫌いだし、汗かいてカブれたりして皮膚病に罹りやすくなったり、生ものは腐るし、本当に夏は嫌。夏なんていう季節は!

そして、「夏の終り」っていうフレーズのどうしようもなさがかなり癪だ。

毎年何故だか「なにもできなかった」と思ってしまう。別に各シーズンごとに「なにかしてる」わけでもないのに、この無力な感じは何なのだろう? センチメンタルだけが迸りすぎている。

 

今日なんかは、8月31日で、しかもいきなし冷えているので、本当にセンチメンタルに陥ってしまってどうしようもない。おかげで、もはや廃墟と化したミクシィをちょっと覗いてみたりなんかしてしまい、未開封のメッセージを見つけて、それが昔すこしだけ遊んだけれども適当にしていたらそのまま疎遠になってしまった人からで、「急に思い出して連絡してみた。もう6年は経っているかと思うけど、君はまだ東京に住んでいるの?」などと書いてあって、「6年前」って言ったらあの最悪だった夏の年かよ・・・・・・とか思ってしまい、もうさ、「やれやれ」とか言ってハルキムラカミ的嘆息をするしかなかったです。そっ閉じ。

 

私はまだ東京で生きているよ。

お金がなくていつも不安で、ちゃんと仕事もできないし、飼っていた犬は死んでしまって、肥って具合も悪いけれども。

お互いあの頃より6つも歳を取ってしまったわけだけど、まァなんとかやって行きましょう。ひどい話だけど、それしかない。(もし今しあわせにしてたらゴメン)

 

返事は出さない。

 

 

◆◇◆◇◆◇◆◇

 

 

熱烈な夏disばかりかましてしまって、取り柄がないと言い切ったあとでアレですが、夏の好きなところも書きます。

夕方から夜にかけては好きだ。

お祭りが好きで、夜店の提灯のあかりやネオン、太鼓の音、どこかのお祭りから帰ってきた人々を眺めたりするのも好き。

花火も好き。子どもがいるお家の軒先で手持ち花火をしているのを見ると、とてもよい気分になる。シューッと派手に勢いよく散るのも、線香花火がジリジリ震えながら球になってぱちぱちいうのも好きだ。水を張ったバケツに入れるとジュッといって、終わった後もにおいが残っているのがいい。

地元の小さい花火大会は、路肩に車をとめて見た。リリイ・シュシュ的田園風景の広がる田舎なので(つーかシンプルに360度田んぼなので)夜空を遮るものが何もなくよく見える。都会の花火大会にはいまだに行ったことがない。

 

あと、夏そのものは苦手だけれど、夏を舞台にした小説や音楽はとても好きだ。好きなバンドの夏の曲はことごとく好きだし、国内外問わず夏を描いた作品はおおむね素晴らしい気がする。

今年の夏も、『サマージャム’95』と『じゃっ夏なんで』を死ぬほど聴いた。

夏なんです。夏の光。夏の黄金比。カルピスソーダの夏。甲州街道はもう夏なのさ。大瀧詠一にサザンに。それとnever young beachも。

 

こないだは『夏の日』をLOFTで聴けました。これはもう最高の曲です。cali≠gariをみると毎回、なんてカッコいいんだろう最高に好きです、という気持ちになる。

「なにもできなかった」とか書いたけど、この夏はcali≠gariのライヴに2回行きました。1回はなんと地元。いや~~、高校の頃から追っかけてるバンドを地元で見れる日が来ようとは・・・・・・。その当時解散してたバンドだよ。感無量どころの騒ぎじゃない。

ウォークマンで狂ったように聞いてるその曲な、10年後に新潟のライヴハウスでやってくれっぞ!いや嘘じゃないって!!だから今死にそうだろうけど生きて!!」って当時15歳・寺山修司を愛する孤高のゴスロリ*3だった私に教えてあげたいです。生き続けていると、かなり偶にだけど、ホント稀にだけど、良いこともあります。

 

それから、地元の友だちにドライブに連れていって貰って、白玉あんみつ食べたり、お名残惜しくて駐車場でしゃべり倒したりしたのも楽しかったなァ。

友だちのことは年々好きになる一方です。学生の頃も好きだったんだけど、いまの方がもっと好きだ。こんな私と今なお仲良しでいてくれるという、その貴重さ。有り難さしかない。

今は齢のせいか、会う友だち会う友だちみんなこれからの人生を前に途方に暮れている感じがするんだけど、あともうすこし経てば、どうにかいい方向に転がっていくんじゃないか、と信じています。ロックスターでも革命家でもないから、三十路までお互い命綱を握り合ってなんとかやっていこう。だましだまし面白くやってお酒飲んで肉でも食べて。若さは無くなるのかもしれないけど、きっと気分は少しマシになってるんじゃないかなと思います。

 

ところで私これからどうなるんだろう? つらい!

 

とりあえずはお金稼がないとなァ。

のんびりセンチメンタルになってるとあっという間に干上がるな。

夏の曲みたいに終われたらいいのに。

 

 

a Beautiful Day(Deluxe Edition)

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中国行きのスロウ・ボート (中公文庫)

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*1:鬱のピーク時は電車に乗ることができなかった

*2:生きてくことに

*3:激しんどい