ヱキセントリック少年少女

はにかみ屋のシティガール

さあ逃げ惑えその隙に

あの人は軸がぶれてない素敵!
さよなら絶望先生』を観ていました。
可符香かわいい。


昨日は、「新年会」に出席し、ゼミナールの面々と半年ぶりに会ってきた。
何というか。
馬鹿みたいに構えていたわりには、私の知らないところで世界は動いていなかった。皆お変わりなかった。どちらかというと、歓待してくれた。教授の顔も久々に拝見し、激励の言葉を頂いた。有り難かった。「空白の一年間が出来てしまいました」と一笑いとって来た。なかなか、結構、よくやったと思う。


うむ。


最近は漱石を読んでいる。
私は、門弟の百鬼園先生なんかは好きだけれども、元来、漱石大先生に就いては甚だ不勉強だった。
周りで「漱石が好き」と言う声は多多あれど、高校の頃『こゝろ』を読んだ限りでは良さがよくわからんなぁ、と思っていた。
しかし二十歳にも到り、文学部の一学生たるもの、漱石の一つや二つくらいは嗜まねばならん、と今更ながらに思い立ち、とりあえずやっぱり猫が好きだから『吾輩は猫である』を今読んでいる。


そしたら結構面白いのである。
爆笑とまではいかないが、「ふはは」くらいは笑える。明治38年と言ったら今から百有余年は昔に書かれているわけだが、笑いのセンスが非常に現代的だと知った。「吾輩」の博識なツッコミと猫的天然ボケが非常にシビア且つユーモラスに炸裂する。
しかし、やはり明治期の作品だけあって、というか私が知識浅薄だからだが、字引が無いと意味不明な名詞や言い回しが頻出するので、まともに注解と首っ引きで読んでいるとかなり解読に時間がかかる。けれども、一気読みする類の物でもないから楽しみながら毎日少しずつ読むことにしている。

美学者の迷亭先生という、悪戯者で飄々とした困ったさんが出てくるのだが、私はこの人が特にお気に入りである。いちいち茶々を入れて話を混ぜっ返してばかりいるので、彼が登場すると話が一向に進まないのだが、どうもお洒落で小粋なおっさんらしい。

「奥さん奥さん、月並の標本が来ましたぜ。月並もあの位になると中々振っていますなあ。さあ遠慮はいらんから、存分御笑いなさい」

という台詞がすき。あと、屋根瓦で玉子焼くとこなんかもお茶目。全体的にいい大人がくだらないことで戯けあってる雰囲気がいいです。


中・高校生くらいの頃は、何か「名作読まなきゃ」的な強迫観念にせっつかれて読んでいた覚えがあるけれど、むしろ古典的名作なんかはある程度の教養というか、予備知識を少々携えてから読んだ方が飛躍的に面白くなるな、と近頃は感じています。何でもそうだけど、研究すればするほど深みが増して笑いどころが解ってくるし、細かく散りばめられた「ネタ」が自分の中で繋がりをもって体系的に理解できるというか。
やはり折角大学生なのだから、沢山勉強せにゃ損だなぁと思うところであります。
ニート・六畳間から這い出し、にわかに向学心に燃えるの巻。


ノラや―内田百けん集成〈9〉  ちくま文庫

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吾輩は猫である (新潮文庫)

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さよなら絶望先生(1) (少年マガジンコミックス)

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